めんへら子的「日々是躁鬱」

思いつくまま、さくさく言葉を走らせる。

文章を書くのって、どうしてこんなに楽しいんだろう

エッセイって楽しい。

最近めっきり文章を書くことから離れていたけれど、はてなブログを初めて再び筆を取る楽しさを知った(筆というか、叩いてるのはキーボードだけどね)。

 

日本におけるエッセイの源流って、記憶に間違いがなければ枕草子だったはずだ。かの有名な「春はあけぼの」という句から始まって次々と綴られていく言葉たちからは、さらさら音を立てて流れゆく小川のせせらぎみたいな、何とも言えない心地よさを感じる。

ところで枕草子といえば先の「春はあけぼの」に始まる第一段が有名だけれど、私は百二段の「中納言参りたまひて」が一番好きだったりする。人間臭くてとても面白いから。

 

そんな私、じつは中学生くらいのころ、国語の授業の題材(タイトルは忘れてしまった)に感化されて一時期エッセイを書くのにはまっていたんだけど、枕草子みたいに言葉を綺麗に紡げた試しがない。

なんせ私は不器用なのだ。編み物をしても糸をこんがらがらせてしまうし、私に縫い物などさせようものなら指のあちこちから流血沙汰だ。まあそういう手先の器用さと文章の上手さに相関関係があるかは知らないけど、私は一種の繋がりみたいなものがあると思う。

私は丁寧さに欠ける性格をしているから、糸も言葉もこんがらがっちゃう。

 

話がそれてしまった。

私の場合は下手の横好きではあるが、エッセイを書く行為の楽しさについては吉田兼好が述べてくださっている。思うがままに文を書いているうちに、自分の気持ちよりも筆の方が先走っていくような感覚に襲われる、これがまたとても不思議でいて気持ちがいいのだ。

 

自分は三日坊主だから新しいことを始めてもだいたい続かないし、そのため何かにチャレンジするというのがすごく億劫なんだけれど、ブログはやっぱり始めてよかったなって思う。

でなきゃこの気持ちいい感覚、忘れちゃってただろうからね。

 

明日も、とりとめのないことを思いつくままに書いて投稿するとしようかな。

 

 

おわり。