めんへら子的「日々是躁鬱」

思いつくまま、さくさく言葉を走らせる。

死ぬときはなぜ一人なのか

死ぬときはなぜ一人なのか、と考えたことがある。
人は生まれるとき、命を作るとき、いつも好きな人と二人でいる。
生まれるときはママとつながっているし、命を作るときは愛する人とつながってる。(下ネタじゃないよ!!)

でも死ぬときは一人きりだ。
傍に家族がいても一人は一人。
一緒に繋がりながら死んでくれる人なんていない。
生まれるときも命を作るときもいつも誰かと繋がってるのに、世界の最後は一人きり。

寂しいことじゃない?

でも、だからこそ死って、なんていうか、長年生きてきた人間の究極完全体なんだと思ったりするの。
よく親離れだの子離れだの自立だのいうけれど、死はそういう次元を超えている。
命離れだ。世界離れだ。

そう。最強の自立である。

死こそが、自分が自分たる最大の瞬間なのではなかろうか?

…まあそうは言っても、私とて自殺するつもりはないけどね。
ただ、今日は思ったことを書いただけ。
意味不明な内容になりました。


おわり。