めんへら子的「日々是躁鬱」

思いつくまま、さくさく言葉を走らせる。

悲しい日には、野の草を見る

悲しくて悲しくてどうしようもない日というのが、誰にでもある。
私もメンヘラだからそういうのすごくある。  

一人で泣いたり叫んだり、どうしようもなくジタバタしたり。
で、ひとしきり落ち着いたら私は外に出て、しばらく草とか花を見てたりするんだ。

草花って何もしていない。自然体で、ただそこに生えているだけ。それなのにちゃんと生きてる。
風雨にさらされ、時に嵐の中をも、自然体で生きのびてる……これってすごいことだと思うの。

神様とかあんまり信じるタチじゃないけど、何もせずただそこに居るだけの草花すら必要なものを与えられ成長しているんだから、頑張ってる私を神様が見捨てるはずないって思う。
それに、気張る必要なんてないんだとも気付かされる。
晴れの日も雨の日も風の日も雪の日も、しゃんと立って空を見つめ続ければちゃんと生きていけるだろうって、草花を見ると確かにそう思う。無根拠なんだけどね。

毎日の生活に疲れ、社会で揉まれ、心が廃れきってる人いませんか? そういう方は、深呼吸して植物でも見て欲しいなって思う。 
物言わぬ彼らは、大切なことをきっと教えてくれるはずだからね。


おわり。